出来ない事を認める事は難しい
同期が海外駐在にスピード出世
先日、所属している監査法人で、年に一度の昇格や部署異動の発表がありました。
昨年度の社内評価が良かった職員が社内の審査を得て、無事昇格します。
社内イントラネットに貼られている昇格者一覧を見て、知り合いや一緒に働いている人が、昇格したかどうか、確認することができます。
私もその昇格発表時の朝は、昇格者一覧を閲覧し、知人が昇格しているかどうか確認していました。
そしてとある名前を見つけて衝撃を受けました。
海外駐在の辞令の中に優秀だった同期の名前が提示されていたのです。
狭き門を通る、最も優秀な同期
さて、少し監査法人における前提の話をすると、大手監査法人の中で、「海外駐在の経験」というのが、社内出世において大きなアドバンテージになります。
社内で「海外駐在」に行ける職員は限られていることから、英語力を含むグローバル対応力が高い人「優秀な職員」が上司の推薦を得て、海外駐在に行けるのです。
海外駐在に行ける枠には限りがありますから、監査法人の中でも海外駐在に行くことは狭き門でもあります。
そんな狭き門を通過できるのは、監査法人に所属して7.8年、時には10年以上経験を積んだ社内エース級の職員というのが、近年の監査法人では常識となっています。
そんな中で、私の同期の受験生時代からの知人だった友達が、その常識を打ち破って異例の海外駐在メンバーに抜擢されたのです。
彼は、受験生時代から優秀で、監査法人に所属後も、超優秀な人材として、ビッククライアントに常にアサインされ、高評価を得ていました。(マネージャー以上が参加する海外電話ミーティングにスタッフとして一人参加し、成果を残すなど、周りのスタッフとは別次元の成果を出してたそうです)
個人的にも同期トップレベルの優秀な奴だと思ってます。
ただ、海外駐在に行くような年次ではなかったため、今回の辞令は社内でもかなり話題になりました。
クライアントの事情といった例外ルートを除いて、ここ数年稀に見る、海外駐在メンバーへの大抜擢であり、スピード出世でした。
無意識に自尊心を守る自分
そんな、優秀な同期が駐在するという事実を知った時、複雑な感情が芽生えました。
突然の辞令に対する衝撃。
いつも同期のトップを走り続けていた彼に対する尊敬。
出世レースを一人抜け出した彼への嫉妬。
普通である自分自身の状況への焦り…
そんな中、ある一つの考えが自分の頭を占めたのです。
「優秀で才能のあるやつだから、自分は負けてもしょうがない」って。
そうやって考えることで、プライドとか自尊心を無意識に守ろうとしている自分がいました。
駐在に行くことになった彼が、どれだけ働いたか。英語力といったグローバル対応力を身に着けるために、どれ程努力したのか。
そんな彼の苦労をわき目において、努力していない自分を認めず、無意識に自分のプライドを守っていたのです。
「あー俺は無意識に自尊心を守って、自分の足りないところから逃げてたんだな」
パソコンに映る 辞令表を目の前に、ただ自分への不甲斐なさを感じていたのでした。
心のフタ、閉じてませんか?
確かに彼は「優秀」な同期でした。
国家資格という難関試験を通り抜けた公認会計士の中でも、例外値のような人物と言ってもいいかもしれません。
「例外値だから」「天才だから」「才能があるから」負けてもしょうがないよねって、自己防衛として皆さん考えてしまうことはありませんか?
たぶん、その考えはごく当たり前な考え方なんだと思います。
ただ、ひたすら自己防衛して、自分を落ち着かせたところで、何一つ成長はしない。
自分の非力さを素直に認め、自分の足りない部分に向き合うことができなれば、何一つ成長できないのです。
「あいつは留学してるから、帰国子女だから、英語できていいな~(自分は英語できなくてもしょうがないよね。)」
「あいつは元々頭良くて優秀だから、試験に受かるはずだな(自分は試験に受からなくてもしょうがいよね)」
皆さんも、心にフタをしたくなる時があると思います。
ただ、フタをしたままでもいいのでしょうか?
今回の同期の出世は、ぬるま湯でボケてた自分に喝を入れてくれるいい機会でした。
いいライバルをもったなぁ〜。