論文式試験で落ちた時の思い出と覚悟

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 平成30年度公認会計士論文式試験の合格発表まであと1週間を切りました。

 

8月に受けた試験の結果が来週には判明します。

 

そわそわしている受験生が多いのではないでないでしょうか。

 

今回の記事では私の論文式試験不合格のお話と不合格から再起したお話を致します。

 

試験には合格と不合格が必ずあります

 

もし、不合格となった時、どの道に行くとしても、あなた「再起」して、歩まなければならないでしょう。それが、「生きる」ということです。

 

私も、過去に不合格を経験し、そこから再起したあと、再度受験、多くの人に支えられて合格することができました。

 

そのエピソードの中で、一つ自慢があるのですが、その時の「再起」のスピードです。

 

金曜日の合格発表後、翌日には再起、日曜日には予備校と契約して、月曜日には受験勉強を開始していました。

 

なぜ、そんなスピードで「再起」できたのか。

 

それは、その後の人生の根幹をなす「考え方」を不合格の翌日に開眼出来たからだと思っています。

 

その「考え方」を昔を思い出しつつ、書きたいと思います。

 

あなたの「再起する足腰」の一助になれば幸いです。

 

 

論文式試験の合否を金融庁へ見にいった

論文式試験試験の合否結果は、ネットで確認することも出来ますが、当日、金融庁の1階にも張り出されることをご存知でしょうか。

 

インターネットが普及した今日でも、ネットだけではなく、紙媒体で合格発表を提示するのは、非効率の塊のような慣習ですが、その慣習が無くならないのも、その後の人生を大きく分ける国家資格ゆえなのでしょうね。

 

そんな感じで、受験生だった私も、仕事をせず暇だったので、金融庁に合格発表を見に行ったのでした。

 

数時間後、その場で大泣することも知らずに。

 

合格者一覧を必死に見るも番号なし

合格発表当日、発表20分前に金融庁に行くと、すでに同じように合格発表を待ちわびている受験生が何人かいました。

 

掲示の広さ上、一度に全員が合格発表を見ることが出来ないので、来た順に合格発表を待つ列ができていました。

 

私もその列に並び、合格発表を待っていました。

 

そして、合格発表の時。

 

先頭列の受験生の中から歓喜の声が聞こえ、緊張がピークになります。

 

そして自分の番。

 

番号を探します。

 

ただ、いくら見ても、見つかれません。

 

2.3分ほど見続けた後、ようやく、理解できました。

「俺、受からんかったんか」って

 

その後、親に電話で報告。人目もはばからず、金融庁の柱の影で号泣してました。(今ではいい思い出です)

 

放心状態で向かった先は「ヒト」の原点の海

結果を知った後、まあ悔しいわけで、いろいろ放心状態になったわけです。

 

それは、結果を知った翌日も続いていました。

 

そして、こんなときって家にいたくないんですよね。

 

行く場所ないんですけど、とりあえず外に出て、カフェに行ってボーっとしてたら、無性に「海」に行きたくなりまして、電車に乗って横浜に行きました。(暇人ですね)

 

横浜についたのは、日も暮れて夜でした。

 

そして、人々が向かう方向とは逆方向に歩いていって、海が見える公園まで来ました。

 

あたりには誰もいない、真っ暗な公園。

 

寒気が入り始めた11月の寒い夜で、冷たい潮風が肌を刺すような感覚だったことを今でも覚えています。

 

そんな中、鼻水たらしながら、海をボーっと見てたんです。(不審者です)

 

ただボーっと。

 

見えるは海と月と対岸の工場夜景。

聞こえるのは風と波の音。

 

ひたすらボーっとして、落胆して、そしたら怒りがこみあげてきて、

 

なんでこんな俺が人生でこんなに悔しいのに、まわりの人々は普通にしてるんだよ!

って、本気で考えてました(笑)

 

「俺がこんな苦しんでるのに、海は波立ててるし、月はひたすら輝いているし、工場は動いているし、人は普通に生活しているし、なんでやねん!」って

 

でも、その時、別の考え方も内からあふれてきたんです

 

「俺がどんなに苦しくても、海は波立ててるし、月はひたすら輝いているし、工場は動いているし、人は普通に生活しているんだな」って

 

「どんなに辛くても、この世の中に常に動いている。俺の苦しみなんて、この世界の理にとってはどうでもいい事なんだな」って

 

そう思えてきたとき、自分が悶々と苦しんでいたことが、この世の中にとって、どうでもいいことなんだなって気づいたんです。

 

そして、そんなどうでもいいことに何俺は悶々(もんもん)としてるんだって。

 

「悶々するの馬鹿らしいな」って

 

その結果、スッと心のモヤモヤが消えていきました。

 

 

月曜日の朝には電卓を叩いている自分がいた。

横浜での一夜から翌日、放心状態の自分はいませんでした。

 

私の苦しさは「世の中にとってはどうてもいい事」ですし、「そのどうでもいい事に何悶々としてるの」って考えてから、悶々とすることをやめました。

 

じゃあ他に何をやるってなったときに、私にとっては会計士の受験が目の前にあったので、会計士受験を再び始めました。

 

この記事を読んでくださった方の中に、何かしらの受験で落ちて、悔しい思いをした方がいるかもしれません。

 

あなたやあなたの周りの方は、一緒に悔しがってくれるかもしれませんが、第三者(世の中)にとっては特段関係ないことですし、普段通りの世の中が動いています。

 

だってそれが、世の中の理だもん。

 

そんな「世の中」にとってどうでもいいことに悶々とするのって、人生もったいなくないですか。

 

悶々とするくらいなら、とりあえず、一歩進んでみるのはいかがでしょうか。

 

あなたの一歩は「世の中」ではなく「あなた」を変えるのですから。

 

 

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